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全幅15.02m 全長11.00m 全高3.70m 翼面積32.0u 自重4000kg 全備重量5500kg 乗員2名 プロペラ ハミルトン油圧式3翅可変 直径2950mm 発動機 中島1式ハ102空冷星型14気筒×2基 1050hp(離昇出力1080hp) 最大速度540km/h(高度6000m) 上昇時間5000m/7分 実用上昇限度10000m 航続距離2000km |
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(武装) 胴体下面ホ3 20mm 機関砲×1 胴体上面ホ5 20mm 上向砲×2(仰角32度) 機首 ホ203 37mm 固定機関砲×1 |
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三菱 九九式軍偵察機 キ51 | |||||||
三菱 ハ26-U 空冷二重星型14気筒発動機 940hp 最大速度424km/h 7.7mm翼内固定銃×2 後部旋回銃×1 | |||||||
三菱 九九式軍偵察機 キ51 | |||||||
いすずTX40 給油車 | |||||||
いすずTX40 給油車 | トヨタGB 起動車 | ||||||
トヨタGB 起動車 |
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全幅12.10m 全長9.21m 全高3.52m 翼面積24.02u | ||||||
自重1837kg 全備重量2798kg | ||||||
発動機 三菱九九式発動機2型 ハ26−U 900hp 離昇出力940hp | ||||||
型式 空冷二重星型14気筒 | ||||||
最大速度424km/h 高度3000m | ||||||
巡航速度300km/h 高度2000m | ||||||
航続距離1060km 乗員2名 | ||||||
上昇時間 高度5000mまで9分55秒 実用上昇限度8270m | ||||||
武装7.7mm機銃×2 7.7mm旋回機銃×1 |
キ51は陸軍初の襲撃機として開発された機体である。陸軍が襲撃機の開発を三菱に指示したのが昭和13年2月。その6ヵ月後、軍は偵察型の開発も同時進行するように命じる。1号機は昭和14年6月に完成し、増加試作機も同年9月から12月までに11機が完成した。軍による基本審査後、襲撃機と軍偵察機に分けて実用審査が行われ、昭和14年12月に正式採用となり、翌年から生産が開始された。昭和19年になると航空工廠でも生産が始まり、三菱と航空工廠を合わせた総生産機数は2000機に達した。 |
軍偵隊、直協隊とも地上部隊との連携作戦が多く、歩兵部隊からはもっとも頼りにされた傑作機である。日中戦争末期から太平洋戦争終結まで全戦域で活躍し、戦争末期には特攻機として沖縄にも出撃した。また、満州では終戦直前のソ連機甲部隊の侵攻に際してよく敢闘した。ちなみに昭和20年8月段階において、スターリンがソ連・満州国境に展開した兵力は、地上80個師団、飛行32個師団。兵員174万名、火砲3万、戦車及び自走砲5200輛、航空機5000機であった。 |
百式司令部偵察機V型 [キ46-V] | ||||
当時のエピソードを少しだけ。
かたや海軍も同様である。局地戦闘機紫電改(紫電二一型 N1K2-J)が登場するのは昭和20年になってからであり、有名な松山の第343航空隊が編成されたのは昭和20年1月である。 |